第3話 狭き帝國
- 旧川 禅

- 2025年11月18日
- 読了時間: 10分
更新日:2025年12月19日
『帝國陸軍第十三号坑道』の生活区画にある会議室では、閣下と日向を除いた、『旭』の面々が一堂に会している。閣下と日向が会議に遅れてくるのはいつものことだった。大抵未熟な兵でしかない日向に、上官たる閣下が説教をかましている。その説教が、高僧の説法が如く長いために遅れてくるのだ。大抵、手持ち無沙汰な時期にのみ発生する一種の恒例行事のようなものであるので問題こそないのだが、それを中断させれば飛び火が及ぶことを、容易に想像がつくようになった出来事がある。
ある日、作戦会議定刻の五分前になってもなかなか顔を見せない二人を、鉄面皮の肆號が迎えに行ったのだが、日向が会議を忘れて訓練区画を彷徨いていたのを見かけた閣下が激怒し、まさに説教の途中だった。それも構わず肆號が声をかけ、閣下の言葉を遮ったのだが、結果さらに彼の神経を逆撫でして『貴様、敬礼もなしにのこのこやってきて、上官の言を遮るとは良い度胸をしている。修正だ、歯を食いしばれ』と烈火の如く怒らせ、頬を打たれた肆號がすごすごと帰ってきたのを、彼以外の隊員たちは目の当たりにしたのだから、二人の遅れてくることには黙って待っている他なくなったのだ。その為か、必然的に会議前は彼らの駄弁るための余暇と化していた。
そして、沈黙を破って一時の懇談を齎すのは、平常、決まって肆號であった。
「閣下、日向ちゃんを入れてから丸くなりつつありますよねエ」
とはいえども、女性に扮した風采をとるのみならず、性質もまたどちらかといえば女性的である彼の好む話題というのは、とりわけ閣下と日向の関係についてだった。肆號の見解はあまりにも低俗なもので、この二人の関係に対しては悖徳没倫を極めるものであろうことを、訝るというよりは最早、悲願であるかのように望んでいた。そんな彼に対し、大抵真っ向から否定しつつも、考えていることは似たり寄ったりなのが参號である。参號もどちらかといえば、閣下と日向には親子以上に良い仲であって欲しいと感じることが多々あった。その考えるところは肆號ほど下品で懐疑的なものではないが、他人の仲を勝手に自身の推量で判断すること自体あまり褒められたことではないし、礼を欠いた行いであることは事実なので、根の部分は肆號と変わらず低俗なのだ。
「そうは感じねえな、むしろ神経尖らせてる。家族みてえなのが増えりゃ、そうもなるんだろうがよ」
「それが丸くなっている証拠でしょ? 昔はもっと気が立ってた。 自分たちをただの軍器として見てませんでした? ねえ壱號」
壱號は俺に振るなと言わんばかりにそっけなく首を横に振った。低俗な話に肩入れする必要性もなければ、それに首を突っ込んだところで後が目に見えていた。しかし参號は、壱號のそれが自分と同じ意見だと強引に解釈し、手を叩いたと思いきや、まるで鬼の首でも取ったかの如く肆號を指差して下品に哄笑したのだった。
「違うってよ。 貴様の目、節穴なんじゃあねえか、肆號」
「あらら。眼鏡の方、もっと食べる必要がありそうですね」
そんな参號の解釈を快く思わなかったのか、壱號は仏頂面のまま眉を顰めながら、再び首を横に振る。お前と同程度などたまったもんじゃあないと言わんばかりの仕草ではあったが、参號はその意図を見ないふりして、変わらず肆號に対し勝ち誇った心算でいるためだけに、壱號の態度を利用していたようであった。だが、必要以上に怒気を高めないのが壱號である。狙撃手たる所以か、はたまたそのように温厚であったから狙撃手になれたのか、彼が声を荒げる場面に鉢合わせたことなど、そこにいる隊員たちの中には誰一人としていない。壱號はいつも、ただ淡々と、自分の眼で見える事実を述べるのみのことをしている。それは今も変わらず、閣下が日向を特別気にかけているわけでも無く、自分たち全員のこともしっかりと見ているのだという、前向きな事実を簡潔に述べるのみに徹していたのであった。
「昔から あの人は俺たちを家族のように扱ってる」
「そう言われてみればそうかもですが。でも日向ちゃんには一等お優しいでしょう。あの人が日向ちゃんを修正しようとしているところは見ません。やはり閣下は――」
負けじと食い下がる気迫の肆號に、壱號は悄然として、思わずため息をつきそうになり、再び無言になった。肆號がこうして向きになっている以上は、この女男の狂信するところをいくら否定したとて無駄だと感じたのである。そんな皮肉たっぷりの沈黙であったのだが、自身の理想を第一とする肆號には通じておらず、さらにエスカレヱトする始末だったので、壱號はそれっきり、彼らの会話に入ろうとするのはやめた。普段通り首巻を口元まで引き寄せて腕を組み、我関せずを決め込むのである。そんな壱號の様子を見て、弐號が苦笑いしながら隣に近づいたところで、室内に朴訥な伍號の声が響いたもので、弐號は思わず顔を上げてそちらの方を向く。彼はこの話題が渦中の人物に聞こえてしまうことを危惧しており、さながら探知機のように、会議室周辺の物音を警戒していたのである。伍號の声は、弐號の注意を引き、危機感を持たせるには十分すぎた。
「不敬だ。 閣下が、色狂いの状態にあると言いたいか? 造反か肆號、貴様。不敬極まる」
「違いますよう、私はただ閣下にも幸せになって欲しいだけ。 閣下の思い人が名の知らぬ女であるよりも、よく見知った、愛嬌のあるお嬢さんの方が良いでしょ? 私達にとっては、お兄様みたいな人なんだしねエ、閣下は」
「……それは、然り」
このままくだらない応酬が続くのだろうか、と弐號が感じたのが杞憂であったように、伍號はあっさりと肆號の言を認めてしまった。どうやらこの朴念仁も低俗な輩であることには変わりないらしい。やれやれと再び苦笑いを浮かべた弐號は、呆れたように黙りこくる壱號の背中を軽く叩く。すると壱號は、たった一言「無粋な小僧たちだ」と零してみせたので、弐號は思わず失笑したのだった。
「閣下が、あいつのことをそんな風に思ってようが無かろうが、俺は2人が仲良けりゃ、それでいいよ。下手に誰かが茶々入れて台無しにされる方が嫌だね」
「まア、それはそうですけれども。 私としては見ていてもどかしく――」
「君たち、話を変えよう。若山殿についてどう思う」
一同は、それまで黙って、ただ聞くに徹していた弐號が、強引に参號と肆號が続けていた話を変えたために閣下が会議室に近付いていることを察した。そこは、私的な話題よりも公的な話題の方を好む伍號が、朴訥の口を開いてみせる。壱號は内心、助かったと感じた。伍號の話題はつまらない。万が一閣下に聞かれてしまったとして、本人の気にするところの話題よりも、つまらない話題であった方が、叱責を受けるにせよ、その烈しさは段違いに変わるからだ。壱號は些かメランコリイに傾倒した性質の男であったので、こういう時は、つい最悪の事態を想定してしまう癖があった。
「最後の『愛國者』であると聞いた。それが国民の意思によって国家元首に選ばれた。則ち、国民は帝國の奪還を望んでいるとも思える」
「若山自体からはそんな匂いはしなかったけどな。 卸したての制服の匂いと、上品な香水の匂いがした。 高え奴だ。 甘やかされて育った、何も知らん坊主だよ、アレは」
「しかし政策は素晴らしい程にこちら側でしたねエ。 私は期待大です。伍號、貴方はどの政策が一番お気に入り?」
「うむ……」
思いの外、参號と肆號は伍號の話題に興味を示してみせる。流石に閣下に殴られるのは嫌だと感じたのか、はたまた単純に若山に対する鬱憤めいた興味があったのかは知れない。しかし、肆號の性悪とも言えよう問いに対しては無防備であるのか、武術一辺倒で浅学甚だしく、政策などというもの到底理解もできないし、覚えてすらいなかった伍號は、言葉に詰まってしまった。性悪というべきか、悪戯好きというべきか、ある種その風采に見合ったとも言える陰湿さを持つ肆號が、こうして伍號を辱めることはしょっちゅうであった。このような事態に陥ると、身内の不和を悪とする弐號は黙っていられない。自慢の柔和な笑顔を提げて、咄嗟に伍號でも拾えるようにと思考を巡らせ、答えを示唆するかの如く言葉の数々を羅列してやるのである。
「9条撤廃と軍備強化。事実上の『諸外国協働宣言』の取り消しである移民規制、地域統制と警察権強化。産業保護に国家主導経済。国民の健康寿命の最大化を目的とした『国民健命法』及び『国家生命科学振興庁』の新設。『クリーンビジョン』の緩和。これから仕事が増えるのだよ、伍號。いい時代になりそうだ」
「――うむ、民が彼を望むのも頷ける。どの政策も真っ当である。軍備強化は、嬉しい」
弐號の機転に救われて、伍號は思わず、親を見つけた迷子のような気持ちになって、声色を変えた。朴念仁な巨漢の、その無邪気とも言えよう反応に流石に毒気を抜かれたのか、肆號はそれ以上彼をいじめることなく、そうね、そうねエと微笑んで返すに留まっている。
「祖國が大好きだっていうのは、伝わってくる。そこだけは認めてもいいかもな」
「……問題は腑抜けということだよ」
肆號の勢いが引っ込んだと見るなり、今度は参號が伍號の言葉を肯定し、会話を続けた。兄心というものか、普段誰よりも軍人として大真面目過ぎるほどに振る舞い、感情を一つも出さないことを良しとしている不器用な伍號が、喜色に富んだ表情を見せたことに愛おしさを感じたのである。参號のそんな気持ちを見抜いたのか、先ほどまで、あれほど参號の態度に嫌悪を感じていた壱號でさえも、彼に続いて頷きつつ、しかし自身の意見を表明した際であった。ぎぎい、と古い蝶番が軋む音を立てて、会議室のドアが開かれ、室内には冷たく低い荘厳な声が響く。それは壱號に対する応答であったのだが、その場にいる皆全員が、恐ろしい悪魔に首を掴まれ、その心中を見抜かれたかのような思いさえした。
「そうだ、故に我々が修正してやらねばならん。腑抜けの手先口先では、帝國を奪還することは出来ん。そうだろう? 諸君」
閣下が日向を連れ、硬質な靴音を響かせて、会議室に入ってくる。
日向は悪びれた表情をしながら、そそくさと会議室の一番奥へ進む。参號や肆號はそれを揶揄ってやりたかったが、とてもそれができるような空気ではないし、やろうものならあの地獄の主然とした我らが部隊長に殴られかねない気さえしたので、言葉を飲んだ。
閣下は、隊員たち一人一人の目を眺めてその心に僅かでも弛み切ったところが無いことを認めると、嬉々とした表情を浮かべながら、その心を、隊員らに打ち明けて檄を飛ばす。同志を歓迎し、敵を跳ね除けんとするようにゆっくりと両手を広げて。それはさながら、地獄の底で行われる、地獄の主から獄卒鬼へ向けての、士気を高めんとする奮起演説のようであった。
「貴様らにも聞こえているのだろう? あの音が。
刻一刻と、迫ってきている。
我らが帝國の鼓動――軍靴の音だ。
軟弱にして弛み切った売国奴どもに打ち捨てられ
泥濘の中に踏み躙られた襤褸雑巾同然の軍旗を
この國の内閣総理大臣が手に取った。
この國の、あの腑抜けた軟弱者が。
結構だ、大いに結構。
然らば我らは、我ら軍人は軍歌を高唱し
この國の暁光に背を焼かれながら
敵軍の駆る軍器を叩き落とし
敵軍の起こす足音一つ許さず
敵軍の吐く硝煙を絶やし
敵軍の語るを沈黙させ
敵軍の生きて返すこともなく
彼奴等を殺し、殺し尽くさねばならん。
我らの背を焼くのは黄昏ではなく、暁である。
そして我らが拝むのは朝日でなくてはならない。
三八式歩兵銃を執り、撃鉄を起こせ。
九九式狙撃銃を抱え、敵性兵の脳天を撃ち抜け。
軽機関銃を携え、抵抗者を一掃せよ。
腰の拳銃を抜き、引き金を絞れ。
鞘を抛ち、軍刀を構えよ。
敵機一機たりとも飛ばぬ蒼穹にし
敵兵の血肉を撒いて土壌を肥やし
ようやく朝日は登る。
嗚呼、楽しみだ、実に楽しみだな諸君。
拝もうではないか。
朝日を――大日本帝國の朝日を」
言い終われば、薄暗い会議室内にたった6名の喝采が響く。彼らの目の奥で、最早あの帝国の朝日のみが輝いている。しかし、それは彼らを照らすものでは決して無いのだ。
「ええ、楽しみです――楽しみですな、閣下」
「堪りませんな、閣下」
口々に楽しみだと口角を上げる隊員たち。その場に口角の上がっていない者など、一人もいない。自身らがこれから起こすことや望むところに間違いがあると疑いもせず、ただただ“帝國”を求めて戦を起こさんとしている。その果てにあるものが、真の幸福だと妄信しているのである。
坑道の天井に反響した喝采の残響は、やがて静寂に呑まれて消えた。
その静寂の中で、彼らの胸中に鳴っているのはただ一つ――帝國の朝日の鼓動だけであった。


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