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プロローグ

  • 執筆者の写真: 旧川 禅
    旧川 禅
  • 2025年11月13日
  • 読了時間: 6分

更新日:2025年11月30日

 丑三つ時を回る頃。場所は日本、名があるかも知れないような古さびた港湾倉庫にて、事象が起きている。約束された静寂の下、月光すら欺くような疾さで駆ける生物がいた。その地の者では無い言葉を使うならず者達を、獣が獲物を狩るが如く狡猾に追い詰めている。


 獣が、獲物を狩るが"如く"。即ち、彼らは獣ではない。正確には人間によく似た生物であった。"人間の皮を被った化物たち"――そう表すのが最も正しかろう、それが彼らであった。


『クソッ。 犬か、奴らは!』

『どこまでも追ってくる……! 撃っても撃っても、効いちゃいねえ!』

『くたばれ! 化物……! ジャップの化物!』

『畜生! 割に合わねえぞ! 畜生!』


 着かず離れずの追走劇を繰り広げていた双方だったが、やがてそれは終焉を迎えつつあった。港湾倉庫の片隅にあったシャッターの壊れた無人の廃倉庫内に、ただ事では無いことが伺える、焦燥と恐怖に満ちた足音がなだれ込み、その後に硬質な軍靴の音が続く。しかし哀れにもその場所に追い詰められた人々は、皮肉なことに決して善人の類でも凡庸な類でもない、それどころか悪人の類である。官邸の機密情報を探るべく日本に密入国を行った、雇われの工作員でしかない。彼らにとっては全てが順調だった。定刻通りに定められた船に乗り、指定されたホテルで過ごしながら、催事に参加してはさまざまな重要施設を見学の体で視察し、計画通り録音・録画機器を仕込む。それはそれは見事な、手慣れた手つきであった。


「五月蝿えなァ…… 犬に追い立てられたぐれえで、ぶうぶう、ぎゃあぎゃあと、白豚が。いいや、豚は豚でも、馬鹿な豚だな、貴様らは。モノホンの豚の方がもっと静かで、賢いぜ」

「やめないか参號。君はね、豚を知らないくせに、豚を貶しすぎなのだ。全くいけない。豚に失礼じゃあ無いか、君」

「そいつもそうだろうが、弐號、貴様に言われるとハラワタが煮えくりかえるぜ」

「当たっているから腹が立つのではないかね、君」


 だが運の無いことに、彼らはこの化物の存在を知らされていなかった。否、知ることができなかった。旧日本陸軍の歩兵装をした人相の悪い男と、青年将校の姿をした二枚目風の男。そんな人の皮を被りながら、彼らを嘲笑するこの化物達――旧日本陸軍の忘れ形見ともいえよう“死喰兵”達について知っているのは、自衛隊はおろか政府関係者でも一握りである。最早たった一名といっても過言では無い為体であったからだ。その1名のみだとしても、知っていることは上辺程度はいいところ、噂程度の領域なものだから、いかにこの化物達が特異な存在であるかの底すら知れない。だが、工作員の中には哀れにもそんな規格外の化物共の言葉を解してしまう者がいた。二人の化け物の無駄口を理解し、その愚弄めいた挑発に乗ってしまうほどには優れた解語能力を持つ者が。


『なんて言ってるんだ?』

『ローガン……あ、あいつ……俺たちのことを豚だとほざいてる』

『な……何? 畜生……! 舐めやがって! 』


 これが御伽話であるならばどれだけ良かったことだろうか。正体不明の怪物の言を理解出来る者がいたとして、もしかすると交渉できたかもしれない。もしかすると、頭を下げ、謝意を示し謙虚に接することで和解できた。そんな可能性も僅かにはあったのだろう。しかし残酷な現実下では、正体不明の怪物に相対した場面でその怪物の言論を理解すること自体がリスクに繋がってしまうことの方が多い。愛国心を持ち、国のために日本を獲ることを目論んで、日本語を学び日本に侵入してきた彼らは、現地の怪物共が日本語で自分達を愚弄してきたことに対し、工作員であったとしても怒りの情を掻き立てられないはずがなかった。プライドを傷つけられないはずがなかった。窮鼠猫を嚙む――そんな言葉を知ってか知らずか、彼らの中のリーダー格と見受けられる男・ローガンは、懐から両刃のコンバットナイフを取り出すなり、将校姿の男から参號と呼ばれていた歩兵装の男の元へ突っ込んでいく。廃倉庫の埃っぽい空気を切り裂くように、古びて罅の入ったコンクリートを蹴って、真っ直ぐに。


『よせ、やめろ!』

『うおおおッ 殺す、殺すッ クソジャップが!』


 仲間の制止を振り切り、果敢にも参號に対し一気に距離を詰めるローガンは、ナイフで牽制しつつ彼の背後に回り込んで裸絞めを狙う。参號の仲間である、将校姿の弐號を警戒してその行動に出たのは明白であった。しかし、当の弐號はまだしも、参號は特に動じもせず屈んで身を躱したと思いきや、そのまま左方向へ振り返るなり、右足で踏み込むと低所から突き上げるようにして手刀でローガンの胸を突き破り、心臓を握り潰す。鮮やかな手技の後に、辺りに血がばら撒かれ鉄の匂いが立ち込めては、返り血で参號の顔は真っ赤に染まった。その様子を見た弐號はうんざりしたようにため息をつく。


『グ ウウ…… ば バケ モノ……』

「ギャハハッ。見たか弐號、屠殺だぜ、屠殺。しかし、豚の血は臭くてたまらんよなァ。俺の鼻が曲がっちまう」

「ああ、五月蝿い! いちいち粗野なんだ君は。もっと手早く、静かに、確実に仕留めることも覚えた方がいいぞ。――こんな風に」


 苛立ちを隠さずに責め立てながらも、弐號はさっと腰元の拳銃嚢より南部大拳を引き抜くと、“たん、たん”と即座に残りの工作員達の頭を撃ち抜いていき、瞬く間に鏖殺した。一切の雑作も苦しみも無く、静かに死んでいかせたのは、弐號なりの慈悲というわけではない。『撃てば響く』。それは繊細な聴覚を持つ彼ならではの忌避の対象である。他人の悲鳴も、大仰な笑い声も好かない彼は、殊更に物事を迅速に済ませることを好んでいる。それだけのことだった。だが、いくら五月蝿くとも彼にとって仲間は仲間、苦境を共にしてきた他の死喰兵達は、最早家族といっても他ならない。楽しみを奪われたと言わんばかりに顔を顰める参號を見ないふりをしながら、淡々と無線で仲間達に連絡を取る弐號は、仲間の声を聞くなり些か嬉々とした声色で同胞の失態を告げ口していた。


「弐號より各員に連絡。港湾倉庫は完了した。諸君はどう――そうかい、皆、終わったのだね。我々は少し遊びすぎたようだ。特に参號が」

「アァ? 貴様も楽しんでたくせによく言うぜ」

「五月蝿いな、今は僕が話しとるんだよ、君」


 工作員達の死によって再び取り戻された静寂の下、和気藹々と無線で連絡をしている彼らの声を上書きして、低く厳かで、硬質な声が響いた。その声はまさしく地獄の主といった様相で、耳に入れた者全ての心の臓腑を掴むかのような、独特の威圧感があるものだ。生きとし生けるものをせせら笑い、死に果て生に縋るものすら弄び、如何なるか弱き女や哀れな童を前にしても、一切その瞳やその指、その心の有り様さえも揺るがぬ、血も情も無く、ただ己の役目を果たすだけの審判者が如く相手を制圧するような、そんなものである。


『ご苦労、諸君。任務を終えた班は即刻帰投し、各自報告せよ。談笑に耽るのはそれからだ』


 “それ”が耳に入った瞬間、自然と背筋が伸びてしまうのは最早死喰兵に染みついた習性というものなのだろうか。先ほどの喜色と歓楽に富んだ声を恥じらうかのように、弐號と参號は姿勢を直し、その声の主に恭しく応答してみせる。まるで、無線機の向こうに、自らが仕える帝王でもいるかのように、ただ無垢で厳粛な忠誠を以て、彼らは答えた。


「はっ。――『閣下』」


 夜明けはまだ遠く。

 地に撒かれた赤黒い血液をてらてらと照らすのは、不気味なほどに白く無機質な月の光のみであった。

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