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少女駁論

  • 3月19日
  • 読了時間: 4分

 私の隣か前は、決まって一人の殿方が占領しております。私は其の御方に、ひどく憤慨していました。しかし、その反面、愛しくて堪りませんでした。

 思うところが、あるのです。

 其の御方は、私に名前を教えてくれません。いいえ、私だけではなく、彼の御兄弟とも言えよう方々にも教えていないというのです。私はそれについても、思うところがありました。きっと何か深いわけがあることは察するに余り有るのですが、私の全てを知っているくせに、私にはご自身のことをあまり教えてくれないなんて、何という不公平だ、とも思ってしまうのです。だけれども、頑なに名前を教えてくれないものですから、私は其の御方を、周囲の方々に倣ってただ“閣下”と呼ぶ他ありません。


 閣下は、どこまでもずるい人です。

 私の手を握り、頭を撫でてくれるその手はいつも暖かく、胸がきゅうと縮まります。私が気を許して、どこまでも意のままに振る舞ってしまおうと、いくらはしゃいでいようと、感情に身を任せて煩く口答えしていようと、その大きな手で頭を覆われてしまえば、途端に大人しくさせられてしまう。それまでに抱いていた感情も、魔法のようにぱちんと弾けて飛んでしまう。それをわかっていてやるのだから、もう。

 私を見張るその目は、普段の、鋭利な刀のように殺意を秘めたものとは違って、いくらか和らぎ、穏やかなものになっているのです。これを指摘してしまえば、ご自身に厳しい彼のことだから、二度とその穏やかな目を向けられなくなってしまうのが怖くて、私は一度もそれを口にしたことはありませんでした。ただ、普段の張り詰めた、帝國軍人としての矜持を決して忘れない彼が、私だけにそんな、ただの人間としての一面を見せているという事実があるだけで、私は卒倒してしまいそうになるほどの陶酔感に溺れてしまいます。

 私が迷子にならないように、人拐いの手にかからないようにと言って、離れないように命じてくるその声は、どこか男らしい艶があって、よく通る、低いものです。それは赤子のように我儘で聞き分けのない私を即座に静かにさせました。どんなに行きたいところがあっても、どんなに見たいものがあっても、彼が何か一言発せば途端に全て後回しにしてしまう。苦しくも辛くもない、甘美なる支配とも言えましょうか。私はそれに中毒になってしまっているのです。貴方の声が聞きたくて、いつも無駄口を叩いてしまうのです。

 

 あの日から――私が死にかけていたあの夜から、私を救ってくださった貴方。あの夜からずうっと、私を大事に大事にしてくださっている貴方。私に無償の愛をくださっている貴方。私の視界と脳を満たす貴方。貴方はどこまでも暖かい人。

 

 だのに、あゝそれなのに、貴方は自分の冷徹を信じて止まないのです。こんなに暖かい人なのに、貴方はご自身の人間性を疑い、疎ましげに眉間を寄せては、悩ましげに目元を押さえて、小さなため息を落とします。その仕草の艶やかさたるや。私は目を奪われて、他に目を向けることも敵わないくらいになりそうなのを耐えながらも、そんな貴方を嫌うのです。憎らしいとさえ思ったこともあります。私の大好きな貴方を、亡き者にしようとする貴方が、私は心底厭わしくて。


 ねえ、貴方が好き。好きなのです、閣下。愛しているのです。


 父だの兄だの、怪物だの兵器だの、貴方がそのように見ろと言う悉くが出来ないくらい、私は貴方を一人の殿方として愛してしまうのです。そんな私を、貴方は酔狂だと言うのだけれど。私はそれに、どうしても文句をつけたくなる。


 ――酔狂な女にしたのは、貴方でしょう?


 そう返すたびに貴方は形の良い眉の片方を上げて、鋭い目を細めて「育て方を間違えたか」なんて言うのだから、私の鬱憤は溜まるばかり。あくまでも、私を子供や妹のように見ようとする。本当にずるい人。私の気持ちに気づいておきながら、自分は父兄だの、兵器だのと言い張って、そうやってのらりくらりとするのが常。きっと、私の気持ちに返答してしまえば、ご自身が兵器でなくなってしまうからなのでしょう。弱くなってしまうのが、嫌なのでしょう。貴方は兵器なんかじゃないのに。弱くなんてないのに。頑固一徹なのだから、困ったものです。

 

 あゝ、早くご自身が人間だと認めてくれないかしら。冷えた鉄の仮面を被って、暖かくて、優しくて、私を狂わせる。ずるいひと。

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